2016.10.04
どの親御さんも
とんなに恵まれた状況であっても
大なり小なり 子育てに悩みは
つきものですが、
もし 私の息子が普通に生まれ 普通に育っていて、
10年間にもおよぶ母の介護が
なかったら
教室の理念、私の考え、やり方は今とは
違っていて オーソドックスなレッスンになっていたと思います。
まわりからも波乱万丈と言われるほど苦しい
ん十年間でしたが、今があるのは
亡母と息子のおかげだと感謝しています。
仮死で生まれた息子、私も死にかけ、生死をさまよった出産
そんな出産から息子の障がいは覚悟していましたが
、当時の十ヶ月検診で ひっかかりリハビリセンターに通うことに・・・
まずは、どうしたら普通になれるのだろうか? そんなことを考えながらも、母の介護にも追われ(今は亡母)毎日が苦しくて苦しくて…
泣いてばかり…
レッスン以外は涙涙の日々…
追い打ちをかけるかのように
主人の入院 手術
家での療養
2年間歩けなかった主人の介護
苦悩しかないような日々でした。
そんなある日
こんな環境は息子にとって
良いか悪いか考えたら
悪いに決まってる!!
“泣いているより一日を大切に”
“子育ては一日一日が、後々の成長を変える!”
と、思える出来事がありました。
言葉がかなり遅く話せない息子が
マ
マ
ガ
マ
ン
バ
カ
リ
と ある日 突然言ったのです。
もちろん スラスラ言ったわけではなく、
一つずつ
一音ずつ
ゆっくり ゆっくり・・・
ビックリどころではなく
抱きしめて号泣しました。
なにかを伝えたくて全身から
振り絞り言葉を発してくれたんだと
〔今 これを書いていて思い出したら また涙が出てきました〕
命がなかってもおかしくない状況の中 生きてくれて
こんなに小さな体で
精一杯生きてくれている息子に
こんなに心配させてたんだと
思うと。。。
それから 脳への学び
息子への取り組み行動が加速しました。もがき苦しみなら いろんなことを試しながら
着眼点を脳におきました。(母の死で分かり得た事があったから)
母は、突然の脳腫瘍で
私が音大に入学した直後に倒れました。
音大に通えるどころでは なくなってしまい、辞める決断まで してました。
〔しかし辞めずに通えることになった詳細は 過去のトピックスに〕
十年間 脳腫瘍で倒れた母の介護をしていたのですが、″脳て不思議だな″と思うことがよくありました。
母の介護の体験から脳に興味を持ち、調べ続けていたので、
息子も障がいがあるとは言え
脳を刺激すると可能性は広がると信じていました。
様々な事に挑戦し、色々体験をしました。まわりから反対されたことにも挑戦しました。
私は本来 石橋を叩いて渡る性格なので、性格からいくと
反対されることをやるとか
ありえないのですが、
信念が持てたのは、母の死の体験で母が身を持って知らせてくれたことがあったから!!
母が命をかけて伝えてくれたことだと私は信じたから!!
言われた通り
マニュアル?アドバイス?
を受け入れて上手くいかなかった母
わたしは、母のリハビリで疑問に思ったこと、腑に落ちないことが沢山あったので
母が命と引き換えに伝えてくれたことを信じて
息子を伸ばすための
信念を持ちました。
母の体験で信念が持てました。
信念が持てた!と文章で こんなふうに書いても
当時の大変さは 文章で書けるようなものではなく壮絶な毎日でした。
本当に苦しく泣いてばかりの日々でした。
母を介護しながら障がいある子を抱え・・・
母が亡くなった一週間後には主人が大怪我で二年間歩けなくなり・・・
思わずリハセンで 愚痴?悩み?を口にすると、
「お母さん 精神科に行ったら?」と言われてしまい
((((;゚Д゚)))))))
ますます どん底に。。。
その後、ついに私が倒れ入院・・・
〔しかし収入源は私だけなので
家族と親が生きていくために
入院中も外出許可を毎日いただきレッスンは休まず〕
長い長いトンネルをさまよう期間が続きました。
文字数オーバーのため つづく