2025.04.08
とある場所で、ストリートピアノの音色を聴く機会があり、
何だかしみじみと音楽について考えてしまいました。
この人の音は奇麗だなぁ・・・なぜこんなに心に染み入るの?
最近ネットニュースで某所のストリートピアノについての
話題がありましたが、
私がその日に耳にした音楽は、
結果的に徹去されてしまった某所ストリートピアノのような環境で奏でられているものではなかったです。
人通りも少ないうえに、頻繁に演奏者が訪れる場所ではなく、
ゆったりと演奏されていたせいもあるのでしょうか、
春の柔らかい空気と相まって、心地よいものでした。
一時期、ブームが起こっていたストリートピアノ。
教室のある市でも大々的にプレイヤーがネットで取り上げられていたりしたものの、少し前に企画が終了。こちらも残念ながらピアノは徹去されたようです。
せっかく日常的にピアノの音が流れている環境ができたのになと、
少し寂しい気もしますが
何だか少しホッとした気がしたんのも確かかもしれません。
地元のストピは
ピアノ線の破断などによるメンテナンスが頻繁に行われていたそうです。
「ただでさえ品質管理が難しいピアノの維持管理がどうしててるのかな?
費用だってバカにならないけど、誰が負担しているのかな?」
(↑楽器の管理・・・それはそれは、切実な、問題よ)
それからストピあるあるですが
圧のあるガチャガチャした演奏も多く
耳に当たる音がキツいな〜という事も多かった気がします。
そういった演奏は賑やかで楽しいとはいえ、
ストピ設置場所は駅、空港、公共施設やショッピングセンター一角。
音に敏感な人や、様々な心身状態の人が通りかかる場所なので
演奏を楽しめない人もいたのかもしれません。
私が耳にした冒頭の演奏者は
常にピアノに向き合っているのか
いい意味で鍛錬されているように感じました。
音の扱いがとにかく丁寧で、
耳を働かせて返ってくる音の反応を余すところなく聴いていて
そのせいか、ミスがあっても全く気にならず。
まるで時間をかけて丁寧に作られたお料理のようですよ。
そしてその音の余韻をスルメのように、その場でかみしめる私(笑)。
人間の奏でる音って、その音楽って
本当にその人の人間性そのものなんだなぁ…
音がその人そのものなのだから、
演奏者の人間性ってどんだけ大切なんじゃろか・・・?
そんな想いを頭の中で行ったり来たりしながら、
心地よい音を楽しんでいた、その時。
ふと思い出したことがありました。
昨秋の発表会。
何人か演奏が止まってしまうことがあったものの、
不思議なことに会場は
「あわわわわわ~~、頑張れ~~!!」的な緊迫感が全くなく、
いい意味でのんびりと演奏の再開を待ってくれました。
というのも、過去の発表会では演奏が止まってしまうと
「頑張って〜〜〜〜(心配そう)!」
という心配と励ましが入り混じったオーラが客席からどおーっと押し寄せてくるのを察知、
「・・・・!!!」←ワシの動揺音
と胃が痛くなると同時に、生徒さんの年齢、キャリア、性格、仕上がり具合などをすぐさま考慮して
「助けに出るか??否かっ!!??」
というレスキューナウな修羅場になるのが常。
でもその場で耳にしたストピの音色を聴いてたら
「ああ、うちの生徒さんは見栄を張ることなく、
紛れもない等身大の自分を精一杯表現してくれたんだな。
会場で聴いてくれた人たちは演奏者たちの想いを受け止めて
楽しんでくれたんだな」
と半年近く経って、発表会当日の疑問解決。
(当たり前のことなんですけど)
「音楽表現が的確なら、ミスしても本当に目立たないんだよな~」
とは師匠の言。
近年は以前よりも教本の進度が2年くらい遅れる生徒さんが
増えてはいるんですが、大切なことは何とか生徒さんにも伝わっているようです。