2019.04.30
平成が終わります。
思えば、平成になった年はまだ、学生をしていました。
中学の音楽の先生になりたかったけれど、ダメで。では、今で言う個別支援学校の專門科に行こうかと、大学院の編入要綱も取り寄せましたが行かず。
結局、ヤマハの音楽教室と大学の付属音楽教室と自宅レッスンの3つで社会人をスタートしました。
自宅のレッスンは、学生時代から妹の友達を教えるところから始まり、その時は2人。
ヤマハは、本牧と大和の幼稚園会場でレッスンをしていましたが、本牧の会場が閉鎖になると、そこに通っていた5人の生徒さんが自宅まで通ってくれました。その1人がNちゃんママでもあります。
結婚し、音大の方はやめてヤマハと自宅のレッスンをして、引っ越し。現在の場所に来たのは、阪神淡路大震災後です。その教訓からエレベーターのないマンションを探し、生徒さんが通う時にエレベーターのリスクのないように、としました。
子供が生まれ、それこそ生徒さんママにレッスン中見ていただきながら、のスタート。子育ては先輩ママに聞いて、私はピアノのレッスンをする、と言う形でした。公園ママのお口添えで、ぼちぼちレッスンの生徒さんが増えました。
JRの社宅からも、何人か来てくださりその社宅から、転勤が出てもその後に来た人が、ピアノに来る、みたいなサイクルで生徒さんが円滑に回っていたような時期でした。しかし、社宅が閉鎖でお引越しされると、生徒さんが減り、娘の中学受験も忙しくてまぁ、今思えば生徒さんの数が、受験期にはちょうどだったのかもしれません。
その後、本格的にレッスンしよう、とこちらのピアノ教室ネットに入り、日々トピックスを更新し、1人問い合わせ。その第一号の生徒さんはやめましたが、この春中1になった学年の生徒さんです。その子の幼稚園から、お仲間が入会し、今に至ります。
通い始めたセミナーで知り合った先生から、わらべうたや発達障害の勉強会を発足するに至り、コーチングにライティング、と自分も学びました。
音楽之友社のムジカノーバに執筆させていただくこともあり、世界が広がりました。
その間、息子は野球を始め、息子は学区の中学に入学し、野球はクラブチーム。そして、スポーツ推薦で高校へ。娘は中高一貫校で管弦楽部に入り、大学の進路を音楽に。その娘は平成最後の成人式を1月に済ませ、また一人暮らしもスタート。
私の妹も結婚し、子供が生まれ私はおばさんになり、祖母、父が亡くなったり家族、親戚にも変化があり、の平成。
旧友との再会もあれば、親友の死もあり。様々なことを考えることも、増えました。
学生から社会人。
結婚して名前が変わり、母になり、甥姪もでき。
仕事にも恵まれ、生徒さんにパワーをもらえている、それが私の平成でしょうか。