2017.05.25
ここ数日に、NHKで発達障がいを取り上げた番組が放送されました。日曜夜にもあり、昨日の朝にもあり。
それだけ、近年はその認知度も広まり理解する、または当事者の方も打ち明けても受け入れられつつある状況になってきています。しかし、まだまだなところも感じられます。
昨日の番組の最後に、
「相手の困り感を理解することが、分かり合える策」
と、ありました。
何が普通で、何が異常か、その尺度が違えば平行線です。
私たちが普通と思うことが、ある人たちにはとてつもなく難しかったり、まず意図が分からなかったりすれば、頑張りなさい、や努力が足りない、の言葉は暴力になっています。だから、自分の価値観や尺度はさておき、何に困っているのかを一緒に考えたりしたら、答え、あるいは打開策が見えてくるのではないでしょうか?
以前、楽譜の音符が小さくなったことで、理解できない人がいました。学年が進み、楽譜が細かくなるのは当たり前で、それは上達した証で嬉しいはずだ、はこちらサイドの考えで、本人には苦痛でした。ならば、耳に訴え拡大コピーなどして譜読み見やすくしてあげたら、弾けたかもしれないのです。
今、それは私の経験値として得られていますが、その時にその子に的確にアドバイス出来なかったことは、申し訳なかった、の思いです。
(生徒さんではなく、友人のお子さんで私にピアノの練習方法のSOSがあったときのことでしたが)
困り感を理解する。
まだまだ私も学ばなけば、と感じましたがこれは決して座学ではなく、実際に生徒さんと接して学ぶことだと痛感しています。
これからも、生徒の皆さんに教わりながら、経験値をつけたいです。