2025.03.12
ピアノ教室『スタッカート』です。
3月11日、昨日は東日本大震災の日、14年前に大変か経験をした私たち。
私はレッスの前準備をしていて、お茶を飲もうとリビングへ。
たまたまテレビは、確か国会中継があっていました。そう記憶してますが、、
国会議事堂でも大きな揺れの映像で一時中断。
すぐに関東に住む妹に電話をして、子どもたちを迎えに行った方がいいかを話しました。
今思うと、電話が奇跡的に繋がったのだと感じています。固定電話でしたので。
近くの小学校では、グラウンドに子どもたちは集合していたようです。
引き取りに来られていた方はまばらだったとか。
お仕事中のお母さんも大勢でしたでしょうから、大変だったと思います。
テレビでは、津波の避難指示がアナウンサーの声と共に激しく大きな声で、何度も何度も流れていました。
そのお声は震えていらした事を覚えています。
今でもあの時の緊張感を思い出すと、涙が出てきます。
その後、私は3時のレッスンの方をお迎えして、付き添いのママとお話をしていました。
その中で私は『地震と津波の避難指示がでてるそうですね、お知り合いはいらっしゃいませんか?』
と尋ねましたところ、、、
『えっ?地震ってなんですか?津波?どこですか?』
ご家族は、先ほどまで児童館でお友達家族と楽しく遊んでいらしたとか。
無理もありません。
まだ携帯で緊急ニュースを見ることは、多くなかった時代だったと思います。
そのお母さんとのやりとりは、今だに忘れられません。
場所が違うことは、こんなに大きく変わるのだと強く感じました。
レッスンを終えて、20:00。
地震直後の港のまだ穏やかな姿は、暗闇の中。
被害は甚大だったとニュースから流れ出す声は、アナウンサーも震えていました。
あの日の夜は、九州に住む私たちも眠れない日となりました。
被害地域に住む方々の叫びが、どうか穏やかになりますよう、
そして未来にむけて、少しでも心が動きますよう、私たちは祈るしかありません。
そして、いつまでも平和で過ごせますよう
心から願います。
本日もどうぞよろしくお願いします。