2011.12.31
青森の、工藤先生から私の娘へのおくりもの♪
「はやぶさ」のつるっつるの「くちばし」の写真!!
トピックスに載せてくださいました。
そして、メッセージまでいただきました。
工藤先生、ありがとうございます!!
私は昨日の夜、これを読んで(不覚にも)
泣いてしまいました。
今朝、一番に彼女に見せました。
「・・・あひる!・・・おかあさん、あひる。」
と、パソコンの液晶画面を、
とんとんと指でなぞりました。
思い出したのでしょう。
(覚えているよ。)と言いたげでした。
・・・この何気ない、定型発達のお子さんなら
乳幼児でも普通にできる指さしの行動も、この子は一切しませんでした。
私と目を合わせることもあまりできませんでした。
私に話しかけることもせず、クレーン(人の手を引っ張って行き、欲しいものの目の前まで連れていく)動作で、自分の気持ちの何十分の一かを伝えるくらい・・・。
「痛い!」と叫ぶことも、「ここが痛い」と、保育士さんや母に訴えることもできず、
肘を骨折しているのに、発見が7時間も遅れたこともありました。
本人は痛さも苦しさも感じているのに、どう伝えたら良いか、さっぱりわからないのです。
ですから、時々その恐怖がフラッシュバックするのか、突然路上でパニックになったり、
自傷行為(自分で自分を傷つける)に駆られるのもしょっちゅうでした。
それは、今でも続いています。
自閉症という障がいを持つ人は、何も感じていないかの様に見えても、傷ついたり、うまくできなかったことを悔しく、そして恥ずかしく思ったりしています。
人が、世の中で上手に生きているさまを見て、うらやましいと感じる方もいます。
できない自分を、悲しいと感じる場合もあります。
どうにかしたいと一生懸命努力しますが、できないことの方が多いのです。
でも、その気持ちを表に出せない当事者が圧倒的に多いため、
「この人は、何も感じていないんじゃないか」と、世間では誤解されるばかり・・・。
年齢が上がるほど、そういう周りの反応や、どうにもできない自分へのもどかしさは強く
意識できるようになるので、余計にいろいろと考えるでしょう。
そんな、社会に適応するために闘う毎日を過ごす彼ら彼女らが安心するのは・・・・
それは「あなたを、わかっているよ。」と、信じてくれる人がいること。
「いつも、みているよ。」と、程よい距離を保ちながら、見守られている(←”見張る”のではなく。)のを、感じられる時。
私たちは手を貸し過ぎないように、でもさりげなくサポートして、本人ができることを一つずつ増やしていく。
限界があるのかも知れないけれど、本人が自信を持って物事に対処できるように導いていく。
私の娘も、このような支援を周りからもいただきながら、過酷であろう毎日を懸命に生きています。
そうして、今があります。
ですから、娘が指をさし、自分の言葉で表現してくれることは当たり前ではないのです。