2016.11.25
みぞれ交じりの雪が降り、東京都心では観測史上初の積雪となりました。
さくさく勢いよく降る雪を眺めながら、交通網の乱れや、足元が悪くなる帰り道を心配しましたが、雪が止むと夕焼けが広がりました。
小学生のSちゃんはレッスンに来る途中すべって転んでしまい、遅刻して教室にきました。
話を聞くとついてないことが連続して起きたようでした。
自宅前で転び、いったん自宅に戻ったのですが、家の中に鍵と携帯を忘れてしまって、オートロックが開けられず途方に暮れたそうです。
その後、放課後の子供教室には自由に参加できることを思い出して、お母さんが帰って来るのを学校で待っていたそうです。
転んで手足は痛いし…。Sちゃんは散々な体験を半べそになりながら話していました。
大人の生徒さんは、少しでも雪が小降りになるように、少し遅い時間に変更してレッスンしました。
Tさんは「寒いですね…」と言いながら教室のドアを開けました。
そしてバッグから包みを出して、千葉のお土産をくださいました。
ご主人のお母様が90才を迎えたので、お祝いで千葉のご実家に行ったそうです。
包みの中には、千葉名産のピーナッツ入りの焼き菓子が入っていました。
暖かいお茶と一緒にすぐにでも頂きたいところです…。
Tさんのレッスンはいつものように指の練習からはじまりました。
私も子供の頃に散々使った「ハノン」
機械的に指を動かす練習で、メロディーがきれい、とか超絶的な技巧がカッコいい…なんてことは全くない、どちらかと言えばつまらない、模様のように連なる音符を見ているとため息がでてしまうような練習曲です。
でも、私には特別な曲です。
昨年亡くなった祖母は、女学校に入るとすぐにピアノを買ってもらい(シュベスター社のプリマトンというピアノ)、近所のピアノの先生にピアノを習ったそうです。
昭和の初め、当時のピアノは今とは比べ物にならないくらい高価だったようで(祖母の口癖はピアノは家一軒分と同じだった)、嫁入り道具は何もいらないからピアノを…と曾祖母にお願いしたようです。
生前の祖母は、ピアノの先生のことを「愛子先生」と呼び、レッスンの様子等を懐かしそうに話していました。
この「愛子先生」は近所に住んでいた、祖母よりも少し年上の若いピアノの先生でした。
「愛子先生」は、のちにピアニストの中村紘子さんや野島稔さんを指導したそうです。
「愛子先生」…井口愛子先生と祖母は年がそう違わないので、もしかしたら生徒第一号かもしれませんね。
祖母は、生涯ピアノを愛し、80代くらいまで毎日練習をしていました。
始めに必ず「ハノン」を弾いて、ツェルニー、そしてお気に入りにのリストの「愛の夢」やランゲの「花の歌」…。
話は長くなりましたが、私は生徒さんがハノンを弾くたびに、祖母を思い出します。
なぜかその中でも「31番」。懐かしい思いに浸ってしまうのです。
Tさんは今日も沢山練習されていて、ハノンは快速、快調でした。
お祖母ちゃんが、私の背後で笑ってそうです。
★日記は11月24日分です。