2021.07.04
ずいぶん前の事ですが。
コンサート・ホールで勤める友人から、テノール歌手のイアン・ボストリッジが、イギリスから来日するので、譜めくりをしてくれないかと頼まれ、もちろん、2つ返事でOKしました。
伴奏者は、同じくイギリス人の、室内楽ピアニスト、ジュリアス・ドレイク。
当時、恥ずかしながら、ドレイクを知らず、ボストリッジに会える事に浮かれておりました。
演奏するのは、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」全曲。
「美しき~」は、男性が女性への思いを歌う曲なので、私自身は歌った事がない為、楽譜を購入し、音楽を頭に叩きこんで、いざ当日へ。
目の前に現れたボストリッジとドレイク。
オーラが凄い…!
二人とも、にこやかに挨拶してくれましたが、やはり大物を目の前にして、緊張してしまいました。
すらりと長身でイケメンのボストリッジと、気難しそうな職人タイプのドレイク…。
「君は英語が話せるか?」
それが、ドレイクが私に発した第一声でした。
少し…と、答えると、彼はそれを話せると解釈したらしく、普通に会話し始めました。
「今からリハーサルをする。だがこれは、君の為のリハーサルだ。」
早速、スタインウェイの前に座るドレイク、隣に座る私。通訳などおらず、二人きり。
緊張はピークへ。
その時の心境はと言うと
(断れば良かった……)
そして弾き出した。
なんと、大きい手!
鍵盤がおもちゃのように小さく見える…。
ゴツゴツして武骨な手から放たれる音は、
精密機械のように正確で、力強いけど繊細で、とにかく上手いの一言。
なんて簡単そうに弾くのだろう。
これが世界の頂点に立つプロの演奏か。
そして…
「違う、めくる時の持ち方はこうだ。テンポの速い曲は楽譜に印が書いてあるだろう。ここで立つ、ここでめくるんだ。そしてページをめくる時に絶対に音を立ててはいけない。」
なんと、全てのページをめくる箇所を弾いて頂き、色々注意されつつも、何とか私のための一時間のリハーサルは終了。
極度の緊張の中、慣れない英語でやりとりしながら、ドイツ語の楽譜を食い入るように見ていた私は、集中しすぎて、本番を迎える前に、ヘトヘトになってしまったのでした。
続く