2014.07.05
83歳の♪さんは、ポピュラー音楽をキーボードで熱心に練習されている、おしゃれでとびきり明るい人生の大先輩です。
レッスン中に、♪さんのお若いころの音楽授業についてうかがってみました。
知らなかった貴重なお話をしてくださいました。
戦争前は、ドレミで習っていた音階は、戦争がはじまると、カタカナ語は禁止ということで(ドレミは同盟国のイタリアの言葉だと思うんですが、禁止だったんですね)、ハニホヘト・・・の日本読みになり、12345で言いかえることもあったそうです。
大陸育ちの♪さんは、天安門広場の前で、軍隊行進曲の楽器演奏の練習もしていたそうです。よそ見でもすると、女生徒でもビンタがとんできて、こわくてたまらなかったそうです。
先生の命令が絶対だったんですね。
女学生時代は、勉強どころではなく、傷ついた兵隊さんたちのお世話にいったり、石炭を掘ったり、送られてきた兵隊さんの手袋の修繕をしたり、といった毎日だったそうです。
裕福なお家だったようですが、財産はすべて大陸へ残して帰るしかなかった・・・と、なかにし礼さんの「赤い月」さながらのお話を笑顔で話して下さいました。
映画や小説を読んでも、実際はそんなものではなかった、と話されていました。経験者の言葉は重みがあります。
平和な今の時代は、ほんとに幸せなことですね!
長く生きてこられた人生の先輩方の言葉は、お宝がいっぱい詰まっています。