2020.05.25
今回の「Ensemble」から本の紹介です。
石井 宏(著)集英社新書「モーツァルトはアマデウスではない」の評記事です。
世界中で愛される作曲家のモーツァルトの本名は、多くの辞典や文献に「ヴォルガング・アマデウス・モーツァルト」と記されている。ピーター・シェーフアーが、このミドルネームをタイトルに冠した戯曲「アマデウス」(1979)を書き、これを元に同名の映画が作られた事は多くの方がご存知のはず。驚いたことに、モーツァルト本人は、生前「アマデウス」と呼ばれたことも、名乗ったことも、署名したことも無かったという。天才ということは認められ、その作品が愛されたことは確かだが、多くの者からの嫉妬や対立、ザルツブルグやウイーンでの冷遇と言った憂き目にあい、とてもアマデウス(神の愛)という名前とは程遠い人生を歩んでいた。
そんな中で栄光と称賛を享受したのが14歳で訪れたイタリアだった。同地で行った音楽会が賞賛され、モーツァルトの名前はその評の中で「アマデーオ・ヴォルフガンゴ・モーツァルト」と書かれた。加えてヴェローナの詩人メスキーニはこの神童を称える詩を書き、その献辞が「アマデーオ・モーツァルト 愛らしき少年にして最も優美なる音楽家」となっていたのである。そしてモーツァルトはこの名前を使い続けることとなった。
モーツァルトは「アマデウス」を使ったことは一切ないのだ。神格化された「アマデウス・モーツァルト」ではなく、人間としての「アマデーオ・モーツァルト」という視点からモーツァルトの真実を描き出した本書は、伝記としても非常に優れたものである。モーツァルトの人間性を深く知ることで、彼の音楽を聴く上でも、演奏する上でも一歩踏み込んだアプローチができるのではないかと思う。